売上高は一兆円を超える業界大手!SGホールディングスを調べた!

佐川急便を中心とした物流グループ会社

SGホールディングスは佐川急便を中心とした物流グループ会社であり、売上高は1兆円を超える業界大手の物流サービス企業です。

グループ会社の中心である佐川急便は1957年に創業者の佐川清が京都において京都から大阪間を中心とした飛脚業を元に展開されていきました。

物流システムの開発に力を入れる

1970年代後半から、佐川急便は物流におけるシステム開発に力を入れるようになり、1977年には伝票をマイクロフィルム化することで問い合わせに即時対応可能なシステムを整備し、1980年には先駆けて電話応答システムの開発に成功、1982年に全集配車に新無線システムを採用するなど利便性向上に努めてきました。

業界ではパイオニア的な存在

このようなロジスティクス事業に関しては業界のパイオニア的存在であり、さらにデリバリーにおいても1998年に飛脚宅配便を開始したことを契機にデリバリー事業でも大手であり、2015年には宅配業者で史上初めてスマートフォンを利用した電子サインを開始したり、同じく2015年に今では当たり前となった全国のローソンでコンビニ受取サービスを展開、また24時間納品対応を可能にしたスマート納品24のサービス提供を開始したりするなど、物流業界では先進的な取り組みを行う企業です。

代表は栗和田榮一氏

SGホールディングスの代表者で代表取締役会長を務めるのは栗和田榮一でありますが、この栗和田榮一の生い立ちは波乱万丈となっています。

栗和田榮一の生い立ち

実父は佐川急便創業者の佐川清でありますが、栗和田が生後5か月の時に出奔してしまい栗和田は父親を知らない状態で過ごすことになります。

栗和田はその後30代になって旧国鉄新潟鉄道管理局の貨物課で働いた後に、実父である佐川清の要請もあり佐川急便へ入社することになります。

経営方針を疑問を抱く

1977年東京佐川急便に入社しますが、栗和田は当時の佐川急便の社員を猛烈に働かせる社風やそれを是とする佐川清に疑問の念を持ちますが、当時はそのような意見を受けれてもらう余地はありませんでした。

1986年に大阪佐川急便社長、そして1992年に佐川急便社長に正式に就任すると、過酷な労働条件であった佐川急便を変えるべくコンプライアンスや労働基準法を順守する経営方針を打ち出します。

創業者佐川清への反発

利益のためには社員を酷使することを厭わない創業者佐川清がこの栗和田の方針に反発するようになり創業者の父と対立が深まります。

そして2000年の取締役会で栗和田栄一派と佐川清派との激しい経営権のやり取りの末に、佐川清派の一掃に成功することになります。

目標は新しい佐川急便を作り上げる!

会社の経営権を完全に取り戻した栗和田栄一は、その後コンプライアンス重視のみならず佐川急便50周年にはシンボルマークの一新、2015年には約1千億円の海外物流企業買収計画など海外物流事業にも目を当てており、新しい佐川急便を作り上げるために奔走しています。

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